こんにちは、パパ~ン(@paparn883)です。
人間関係で、苦労したり、悩んでいませんか?
家族、友達、恋人との人間関係が、上手くいかなくて辛い。
職場での人間関係が、上手くいかなくて苦労してる。
日々の生活の中で、人間関係の悩みは、どこにでもありますよね。
人間関係の悩みの大部分は、『感覚』と『価値観』と『考え方』の違いを理解して、分けて考えたり、対応すれば解決します。
- 必要以上に、悩む事がなくなる
- 自分にも相手にも、優しくなれる
- 今まで納得出来なかった事が、納得出来る
- 自分が変なのか?という、自己否定が消える
- 相手が変なのか?と思う、他者否定がなくなる
私は特に、『感覚の違い』を知った事で、人に優しくなれました。
目次
そもそも、「感覚」と「価値観」と「考え方」って何?
これを説明する前に、2つ大事なキーワードがあります。
それは「自分だけが思うこと(主観)」と「他人もそう思うこと(客観)」の2つの見方があることを覚えておいてください。
これを、一緒に混ぜて考えてしまうと、訳が分からなくなってしまいます。
それを防ぐ為に、私の文章では「主観と客観」と言う表現を使って、明確に分けて書いていきます。
それではまず、「感覚」と「価値観」と「考え方」を、「主観と客観」に分けて考えます。
その時に、どれだけ自分だけの思いが入っているかポイントがになります。
- 感覚=主観100%
- 価値観=主観50%+客観50%
- 考え方=客観100%
主観と客観の割合については、賛否両論ありますが、まずはこれで話を進めます(最初の決めごと=前提条件の明確化)。
『感覚』は主観100%
人間が本来持っている、五感(見る/聞く/嗅ぐ/味わう/触れる)が正に感覚です。
感覚から感じたことは、10人いれば10通りの反応になります。
そして、そこから快/不快を感じると、掛け算的なパターンになります。
掛け算的なパターンとは?を簡単に説明します。
どこか外出先で、他人の行動と言動を同時に「見た、聞いた」とします。
- 「楽しそうだな」「辛そうなだな」と、見たことによる反応。
- 「うるさいな」「静かだな」と、聞いたことによる反応。
この2パターン×2パターンで、人によって4パターンの反応が出ます。
そして、その4パターンを「心地よいと思う=快」か「居心地が悪いと思う=不快」かは、相手によります。
相手によるという事は、予測不可能なんです。
これが、「感覚は100%主観」といわれる理由なんです。
- 他人の感覚は、理解できない
- 推測は出来ても、推測でしかない
- 自分の感覚も、他人は理解できない
『考え方』は客観100%
考え方というと、算数を思い浮かべると分かり易いです。
1+1=2
これは誰が考えても一緒ですよね。
人間関係で算数関係ないじゃんって場合でも。
人の物は盗んではダメ
ある意味、ルールと考えても、良いと思います。
これが他人からでも、同じ答えに辿り着くのが『考え方』です。
- 10人いれば10人が、同じ答えを出す。
- 共有することが可能
- ある意味、ルール(規則/規定/きまり)と置き換えられる
『価値観』だけが主観50%+客観50%
価値観を最後にしたのには、理由があります。
最初の決め事として、割合を記載していますが、『人によって主観が変わるのが価値観』です。
変わるということは、人によって『感覚』を大事にする人と『考え方』を大事にする人が別れる。
そして、その割合によっては、お互いが何となくわかるけど、すべて理解できるわけでは無い…
それが『価値観』の怖さなんです。感覚と価値観が、人間関係を複雑にしている原因なんです。
これを理解していないと、不幸が起きます。
- 価値観の押しつけによる、ストレス
- 理解しないことへの、怒り
- 理解できないことへの、悲しみ
- 感覚と考え方の割合で、価値観は決まる
- 相手を推測するしかないのが、価値観
- 価値観は主観が入る事を理解することが、良き人間関係の始めの一歩
客観100%の『考え方』だって、共有なんて出来ないよ?
算数の計算は、考え方を共有出来るのはわかった。
でも、ルールを破る人がいる以上、考え方全てが共有出来るわけじゃないよね?
って思った人も多いかと思います。
そうなんです、あなたが悩んでいる部分も、こういった共有できないことが、悩みの大部分を占めているのではないでしょうか。
安心してください。これが冒頭に書いた、
『人間関係の悩みの大部分は、『感覚』と『価値観』と『考え方』の違いを理解して、分けて考えたり、対応すれば解決するんです。』
につながります。
考え方は『100%客観』でなければ、考え方ではないんです。
「ん?そんなバカなっ」て思います?
「だって、その考え方が、正しいも正しくないも、人それぞれでしょ?」
その意見、間違ってません。
だた、正しいか正しくないかの判断が入った時点で、主観が割合として入ってるってことなんです。
この、正しい正しくないはの判断は価値観なんです。
これが一番重要な事なんですが
『あなたにとって正しい事が、相手にとっても正しいとは限らない』
価値観とは、そういうものなんです。
あなたが周りの人たちに、考え方を伝える時には注意してください。
その内容が
- 自分が、正しいと思っている事なのか?
- 他人も、同じ答えに辿り着けるのか?
自分の意見と、他人の意見を交差させることが、人間関係を円滑にします。
「私が正しい!黙って聞け!」って言われたら、言われたほうは、きっと反発します(笑)
「私はこうしたほうが良いと思うけど、あなたはどう思う?」って言われたら、素直に意見が言えると思います。
このように、自分目線か他人目線か、それが交わるところはどこなのか?を考えないと、相手の事を推測も出来ません。
相手の気持ちを推測できないという事は、理解できないということ。理解できないと、相手との距離は離れていく一方です。
そうならない為にも、『価値観』と『考え方』、これをちゃんと切り離せてるのか?を他者と接するときは考えください。
ちなみに、価値観と考え方を切り離さなくても良いケースが、1つだけあります。
それは、自分らしく生きて、意見を言って、それでもお互い笑顔で楽しめる友達だったり、恋人だったり家族だったりです。
『価値観』と『考え方』に主観と客観が入る事を理解すれば、良き仲間が見つかります。
- 『価値観』と『考え方』は切り離して考える
- 正しいか正しく無いかの判断が入ったら、それは考え方ではなく価値観
- 価値観を押し付けず、相手の主観を推測し接する
結局のところ、どうすればよいの?
価値観は、主観と客観から出来ています。
そして、客観は誰が見ても同じなので、これは悩みません。
つまり主観が、分からないから悩むんです。
相手の主観=感覚は、理解できない事を理解する
相手の感覚は理解できない。
理解できない以上、推測するしかないんです。
推測して、こうじゃないかな?って一応の納得をして、相手を尊重する事が、人間関係には必要です。
推測である以上、上から目線だったり、言う事を聞かそうって、おかしな事だと思いませんか?
自分の正しい正しく無いは、相手にとって意味がないんです。
自分には見えてるのに、相手からは見えて無い。
こうなったら、いくら説明しても、相手はわかってくれませんよね?
例えば「同じビルには居るけど、階層が違う」と置き換えても良いかもしれません。
各フロアが同じ構造のビルの、3階と5階にいたと仮定しましょう。
トイレや間取りについて、あそこに何々あったよね~って場所の共有は出来ますよね?
でも、そのフロアのリアルタイムの出来事を共有できませんよね?
今電話が鳴ってるとか、人が何人いるとか、電話や写真など、特別な道具を使わない限り、伝えようがありません。
それを人間関係に、置き換えてみましょう。
同じ経験をしているわけでもない、出会った人も、家庭環境も年齢も違う。
言葉だけで、伝わる気がしますか?私は、伝えきれる気がしません。
感覚や価値観が違うってことは、そういうことなんです。
推測を、一応の理解と置き換えて接するしか無いのです。
価値観(主観50%)も、主観分は理解できない事を理解する
昔と違い、現在は多種多様な価値観が産まれてきています。
これは、【マズローの欲求5段階説】を使うと分かり易いので、下を見てください。
(Newの部分は、私の意見です。クリックで拡大します)
今の日本に、『生きる事に必死』な人は、かなり少ないと思います。
昔は「生きること、豊かになること」に必死であり、誰もが同じ方向を向いていたのが日本の高度成長期なんだと考えています。
それが現在は、『何かに所属し、承認され、自分の評価を高くしたい』といったことでしか、欲求が満たされない。
5段階⇒3段階になってしまっているんです。2段階分の「感謝」や「ありがたみ」を感じれなくなっているんです。
そのため、対価を得ることより、働く意味や価値を必要とします。
そうしないと、自分が満たされないからです。
この満たされない感覚を満たすためには、『生きる事の大切さ』や『当り前の事が一番有難い』ことに気付くしかないんです。
しかし、残念な事に『健康や大事な人を失う事で、初めて忘れていた2段階に気付く事が多い』のが人生です。7
これを、感じてる人と感じていない人も、見えているものがまるで違います。
つまり、相手の欲求を満たし、人間関係を円滑にするには
- 相手の事を、考える
- 相手の考えを、尊重する(居場所を創る)
- 相手を、認める(承認する)
- お互い協力する(能力発揮)
と言った、思いやりのサイクルが必要となります。
最後に
結局のところ、相手の主観は推測しか出来ないので、推測である以上、相手を思いやることが必要です。
- 正しさを押し付けても、相手は分かりません ⇒ 感覚が違うため
- わかってもらえると思ったから、一生懸命説明した ⇒ 憶測は出来でも理解は出来ない
- 相手の主観を変えようと思って説得した ⇒ 主観は変わりません
- 周りが理解してくれないのは、相手の事が分からないのも、当たりまえ ⇒ 感覚は1人ひとり違う
そう考えられるようになったら、今まで気にしていたことが嘘のように感じませんか?
『理解してもらえる、理解してるはず』が悩みや、怒り、悲しみを発生させます。
でも、もともと理解出来ない。見えてるものが違う。
そう思えれば、楽になります。
感覚が違う事を理解した上で、相手とどう良い関係を気付いていくか?
これが、これからの日本人にとって必要なのではないでしょか。
私は、今までの自分の価値観が「感覚」を理解した時に、すべて音をたてて崩れました。
その代りに、崩れたお陰で新しい視界が開けてきたのを実感しています。
是非あなたにとって、今回の出会いが、見える景色が変わるような出会いである事を祈っています。
- 感覚が違うとは、見えてるものが違う事と一緒
- 見えていない相手にいくら説明しても、理解できない
- お互いが感じる事を伝えても、推測しかできない
- 相手の事が100%判らない以上、思いやりだけが人間関係を円滑にする